「マスカラ」フルMV、ソロアングルから視る、SixTONESの万華鏡のような表現力。

 

SixTONESが紡ぐ"音楽"は、真摯に向き合った事実が滲み出る様に分かる、魂を注ぎ込む感性を宿した結晶だと感じていて。

 

SixTONESの強みは"音楽"であり、"歌声"と評されることも多いが、彩度の色付けから濃淡まで、万華鏡のように魅せる表現力によって音楽の世界観に奥行きを持たせる実力がある。

感情を開放した"劇場風MV マスカラ"によって確信せざるを得なかったし、SixTONESの原点である"表現者"として集められた軌跡とも重なって。

 

"劇場風MV マスカラ"初回盤Aのみに収録されるフルver.を観て、表現力の結晶が乱反射した描写に、湧き上がる想いが止まらなかった。

"6つの原石"と名付けられた由縁が重なって、YouTube ver.だけでなくSolo Movie ver.含め、多くの人を魅了の渦へ巻き込むものであると思わざるを得ない。

 

その表現描写を、想いのままに紐解きたい。

 

 

マスカラ - Music Video - 考察

 

“終わりがあるのなら 始まらなきゃ良かった” SixTONESの6人で一人の男を演じた「凡庸なラブストーリー」

 

まるで舞台やミュージカルのような“劇場風MV”。

SixTONESのメンバー6人で、主人公となる“一人の男”を演じている。 6人が全く同じ流れと動作で1人ずつ撮影を行ったため、カットが変わる度にめまぐるしくメンバーが変わる。

動きがシンクロしつつも、目線や表情・細かい動作に違いが出ているなど、 まさにSixTONESが 「6つの個性が集まった1つのグループ」 である事が象徴されるような映像となった。

 

 

SixTONESの6人で一人の男を演じた"という設定描写と「6つの個性が集まった1つのグループ」というSixTONESの軌跡を重ねること。

SixTONESが地に足付けて描いてきた軌跡は、少年漫画の様だと比喩される事も多々あるが、6人が6人で在る意味を色濃くさせるMV設定に、各々の魅力が輝く表現力を強く開花させる物語性。

その意味合いの二重奏だけでも、込み上げる想いが止まらない。

 


冒頭からコマ撮りを彷彿させる、6人が重なりゆく描写構成。

SixTONESの6人で1人の男を演じた"凡庸なラブストーリー"」というテーマで繋ぎ合わせる構成だからこそ、動作で哀愁を漂わせて魅せるひと、焦がれた想いを視線で滲ませるひと…6者6様の表現力の開花が色濃く溢れて繋ぎ合わせる事で、恋愛感情が織り成す起伏の激しいもどかしさを、より際立たせて。だからこそ"6人で1人の男"という構成が最適解だと強く感じる。

 


マスカラにおける想い人を彷彿させる女性を、夜景を背にシルエットで映す冒頭の構成。

敢えてシルエットにする事で女性像を掻き消す作用もあると感じるが、シルエットという抽象的構図によって、想い人と交わることは出来ない偶像を重ねるメタファーのようで。

ギターのアルペジオと重ねて、走馬灯の様に感情を掻き乱すSixTONES全員の場面カットが交差して展開されること。冒頭から想い人を彷彿させて、感情を掻き乱す"気怠く、陰鬱とした一人の男"の未練を映し出す構成。

冒頭で物語の縮図を詰め込んでいることに、美学を感じる。

 

終わりがあるのなら
始まらなきゃ良かったなんて
いじけてばかりで

想い人を振った事による喪失感と疲労感なのか、女性がベッドに倒れ込む描写を織り交ぜる事で、壁の先にいることを示唆する構成で。

 

味がしなくなってしまった日々の
貴女の酸いも甘いも忘れたままで

6人とも一度は壁を見据えて、横顔を映し出す描写といえど、その表情からは壁の先に"いる"想い人への未練という焦がれた想いが強く滲むような、強い想いによって喉の支えさえ手に取るように感じる、喪失感に満ちた表情で。


"壁"というと"心の壁"と表現されるように、断絶を比喩される事も多々あって。

同棲中の彼女とはもう心を交わすことが出来ない、その単純明快な物理的表現もあれど、6人が壁と向き合った直後に心の琴線が弾けるような、金属音を彷彿させる音色のみが響き渡る旋律が重なる。金属音を合図に、感情を解放するメタファーとして紡がれるネオンピンクに染まった世界観で、SixTONESがダイナミックにダンスという感情表現が交差すること。

未練で想い焦がれた果てに立ちすくむ描写と、感情を解放する描写が折り重なることこそが、己の感情と想い人へ対する想いが溢れ出して、向き合ったことを示唆する様な。

 

強くなれたならば

素直になれるかな

見えすいた完璧なフリは

もうやめて


枕を濡らした

涙が乾いたなら

出かけようか

マスカラ剥がれたまま

 

壁と向き合う事で己の心に渦巻く、想い人への強い感情を再認識させ、感情を解放してやり直したいという希望を紡ぐような。

6人で紡ぐ事で、繊細な感情の揺れが色濃く滲み、歌詞の奥行きを感じる構成美。冒頭部分だけでも、SixTONESを1人の男として描く意味を強く感じる。

 

 


今まで刻まれてきた音の粒が昇華してゆくような、透明感に溺れる旋律美が迸る1番から2番での間奏。

タイムスリップを彷彿させる浮遊感に溶け堕ちゆく中で、華麗に踊るギターリフが展開されることは、時間軸の経過を表現するエッセンスだと思っていて。

しかし、MVでは唯一ウイスキーグラスを嗜む描写が重なる。

ウイスキーグラスを嗜むことで、お酒の力を借りて感情に浸る構図をも彷彿させて。その意味合いと浮遊感に満ちた音色が重なること、単なる偶然でもなくウイスキーグラス越しに想い人へ馳せる、揺らぐ液体の音色を表現しているのだろうか。水面が揺らぐ旋律美の表現をオマージュしたMVでの描写なのではないか。と、錯覚する。

 

 

無意味な仕草さえ

切らずに垂れ流した

そんなドキュメンタリーが調子いい

 

情けない姿も山ほど見せたけど

悔やんでばかりいられないね


焦がれた想いが解けずに、もどかしさを滲ませ、色を失ったような視線が迸る北斗くん。

その視線から滲む表現は「ドキュメンタリーが調子いい」という自嘲を飲み込ませる事で、自我を保つ意味合いを滲ませて。


「ドキュメンタリーが調子いい」で一点を見つめる大我くんは、そこに垂れ流した映像が"在る"ように情景描写を視線から滲ませる大我くん。


心理描写を視線に迸らせる北斗くん、情景描写で世界観を生きる大我くん。

その対比が世界観を視線に宿す北斗くんの表現力と、世界観に溶け落ちて生きる大我くんの表現力の鏡合わせを感じて、込み上げるものがあった。

 

 

わかりきっていた

変わりきってしまった

馴染みの景色を

喰らえど喰らえど


ゆごしんの掛け合いは、最高密度の調和があると思っていて。アイドルの煌めきを昇華した溶け堕ちる声色な慎ちゃん、ハスキーで妖艶美を加速させる髙地くんの声色。その対比が鮮やかで耳馴染みの良い心地よさを生み出す、声色の親和性。

映像としても掛け合う事で、より親和性を紡いでいて。

「わかりきっていた」で節目がちに後悔の念を滲ませる慎ちゃん。

「変わりきってしまった」で一点を見据える髙地くん。

言葉を丁寧に紐解いて、物語性に導くゆごしんの描写で物語の緩急を描いている。

 

 

味がしなくなってしまった日々の

貴女の酸いも甘いも忘れたままで


想い人であろう女性との近距離の構図が、交差する場面。

「味がしなくなってしまった日々」という言葉から滲む、想い人がいなくなってしまったことを、明確に浮き彫りにして喪失感が溢れる歌詞。

樹ちゃんは心を痛める"切なさ"だとか"刹那"を滲ませる表現力に長けていると思っていて。

繊細な感情の揺れが強く滲む表情、まるで燃え上がった気持ちが時間と共に移り変わっても、思い出と共に傷を噛み締めていくような表情で。そんな樹ちゃんの表現力が、想い人である女性描写と交差する事でより表現の輝きを帯びる。

 


「味がしなくなってしまった日々」という喪失感から、思い出が込み上げてきて、行き場のない気持ちが渦巻いているであろう北斗くんの表情。


「味がしなくなってしまった日々」という喪失感で、心ここに在らずという儚さを滲ませる大我くん。


「味がしなくなってしまった日々」という喪失感で、一点を見据えて深い深い想いの強さを示唆する髙地くん。


「味がしなくなってしまった日々」という喪失感を、思い出で塗り潰すようなジェシーのダイナミックさ。


喪失感から繋がるSixTONESの万華鏡の様な表現力。これが全てだと思った。

 

 

強くなれたならば

優しくなれるかな

見えすいた嘘で

茶化してばかりで


自嘲気味に笑って頭を抱える北斗くん、その一瞬の描写でも「強くなれたならば 優しくなれるかな」という後悔の念が渦巻く様な。文学的要素を視線に滲ませる表現力、その北斗くんの表現力は詩的だと感じざるを得ない。


カメラの奥を射抜く様な、想い人への想いの強さを焦がすような慎ちゃんの眼差し。

壁にもたれて、行き場のない気持ちを充満させる髙地くん。

焦がした想いを爆発させて、行動に滲んでしまう樹ちゃん。

床に打ち付けて、喪失感とやるせなさを爆発させる大我くん。


日常における感情の爆発と、感情が解放するメタファーとして描かれたネオンピンクに染まった世界観が交差すること。

一貫して未練が渦巻く歌詞と世界観からは、行き場のない内に秘めた葛藤と、上手くいっていた時期も秘めていた感情があったからこその成れの果てを彷彿させるような。

焦がれた想いの爆発が、己の感情の渦と向き合う事で、終幕にかけて日常でも掻き乱された表情で爆発する事。抑えていた未練に満ちた日常と非日常である感情の爆発の交差、その成れの果てが浮き彫りになってゆくことで、マスカラの物語における美学を痛感する。

女性が存在しない夜景のみの描写て幕を閉じる事、それこそが未練の果ての結末だと、受け手にも消失感を与える構成だと感じる。

 

"劇場風MV"マスカラが、歌詞の背景描写を汲み取って昇華したであろう構成美と、SixTONESそれぞれの表現力の深さの重なり合いが相互作用で生んだ、傑作だと思わざるを得ない。
そして、その表現描写の深さがSixTONESには在ると思わされる。

 

 

その表現力の開花と底無しの深さが、ソロムービーを通して解釈を深める事で、全てのピースか揃った様に感じる。

 

 

マスカラ - Music Video Solo Movie - 考察

 

ジェシー ver.

 

 

失恋による感情の繊細な起伏を敢えて、ダイナミックに流れるように映し出すような。

 

強くなれたならば

素直になれるかな

見えすいた完璧なフリは

もうやめて


「人間完璧な振りをしたがるので」

「素直にいられたら1番…誰でもいいですけど心許してくれるんだなって思う」

とメイキングで紡いだ解釈を爆発させるような。

感情を全身で表現しつつ、時折見据える真っ直ぐな視線には想い人への執着にも感じる強さがあって。

 

終わりがあるのなら

始まらなきゃ良かったなんて

いじけてばかりで


終幕で物思いに耽るというより、全てを悟ってしまうような焦燥感が漂うところ。

マスカラが描く世界観と、ジェシーの人生観が交差するような感覚に堕ちて。

切なさと強さは対極であり、表裏一体の表現描写であると新しい世界観が視えた。

 

 

京本大我 ver.

 

 

"満たされない想いへの葛藤"というマスカラの世界観、焦がす想いが幾度となく湧き上がっては煮え切らない想いの強さが一貫する歌詞、その混沌とした失恋特有の目紛しい感情の起伏がマスカラには宿っていて。

歌詞に込められた想いを己の解釈で歌声に深く宿す表現性、丁寧に言の葉を手繰り寄せて紡ぐ姿勢からも滲む、"言葉と音"という唯一無二の音楽の関係性を深めて解釈を昇華させること。

それが"劇場型"MVだからこそ強く滲んでいて。想い焦がれた成れの果てのような表現力である。

 

終わりがあるのなら

始まらなきゃ良かったなんて

いじけてばかりで


さくらんぼを手にした時に一点を見つめるところ。

まるで想い人と過ごした風景が蘇ってるような。

 

味がしなくなってしまった日々の

貴女の酸いも甘いも忘れたままで


想い人への喪失感で"味がしなくなってしまった日々"だからこそ、壁という物理的距離を通して心の距離感を再認識して立ち尽くした上で瞳を潤ませる心の琴線の揺れ。


1番→2番の優美な間奏の音色を機に、想い人との"仕合わせ"が込み上げては止まらない、歌詞における時間軸の経過と共に衝動を加速させるような。

お酒を嗜む描写では落ち着かせようという気概さえ感じれど、お酒が想い人を彷彿させる糸のように何かが弾ける表情。

この一連の動きに胸が締め付けられて。今まで想い人へ向けた"満たされない想いの葛藤"が滲みつつ、徐々に加速させるような。

 

満たされなくなってしまった日々の

貴女の酸いも甘いも忘れたままで


心の琴線が弾ける金属音と共に、居た堪れない想いが弾けるような。

心の壁を彷彿させる壁面に縋りついて、想い人との"仕合わせ"の残り香が在る部屋という現実を改めて突きつけて衝動に駆られるところ。

まさに京本大我は、物語の世界観に生きて昇華させる表現力があると感じる。

 


松村北斗 ver.

 

 

終わりがあるのなら

始まらなきゃ良かったなんて

いじけてばかりで


さくらんぼを手にした時に一点を見据えては即座にやめるところ。想い人を彷彿させる事を打ち消すような。"いじけてばかり"という拗ねる要素を、俯きだとか己の感情に対して内向きになるのではなく、壁を隔てる先に居るであろう想い人へ粘着質な視線を向ける事。それが"いじける"という素直でない葛藤描写として演じることに脱帽して。

 

馴染みの景色を

喰らえど喰らえど


"満たされない想いへの葛藤"というマスカラの世界観。想い人の残り香が漂う部屋、想い人との壁一枚の距離という近くて遠い距離感に頭を悩ませて焦がす想いを加速させるような、葛藤と衝動の狭間で揺れる仕草。

そして壁の向こう側へ想いを爆発させることを踏み止まり、幾度なく視線を向ける事で葛藤を表現する描写。

1番→2番の旋律美で溢れる波の感情が最高潮に達したことで、衝動と葛藤の狭間を落ち着かせるように、お酒を手に取る描写。

そこで湿度の高い憂いを持った視線でじっくり見つめる視線。まさに感情に浸る描き方を感じて。

 

当たり前の仕合わせを

喰らえど喰らえど


瞼の僅かな動きと共に衝動に駆られる描き方。

お酒を嗜んで情緒を落ち着かせようとすれど、蘇ってしまった想い出、はたまた壁越しの想い人の動作で衝動を掻き立てる"なにか"すらも彷彿させて。

 

満たされなくなってしまった日々の

貴女の酸いも甘いも忘れたままで

 

今まで衝動と葛藤の狭間で感情が渦巻いていたものが、初めて込み上げる涙へと変わるような。

"満たされなくなってしまった"と断定した歌詞と共に築かれる演技。

一点を見据えて走馬灯のように蘇ってきた想い人への想いによって、衝動に駆られる構図→自暴自棄と化してネックレスを噛み締める→想い馳せていたお酒を手に取って懇願するような、葛藤から解放されど残る喪失感。

 

感情の揺れを丁寧に、繊細に描く松村北斗の演技力の開花。

 

ここ数年で色んな音楽が更に近くなって自分の中で。CDを出すに当たって曲数が増えたりとか、もっと自分達の音楽について考えなきゃいけない時間が増えたことと、個人的にお芝居への興味が強くなった事、そのふたつとここ数年で凄く絡んできたから出来た解釈とか出来た表現があって様な気がして。そこの色濃さってどう結びつきが強くてとかメンバー毎にあると思うけど、自分がやらしてもらった数年を全う出来たかなって。

 

メイキングで紡いだ言葉が全てだと感じざるを得ない。

 

 

髙地優吾 ver.

 

 

一貫して真っ直ぐ射抜く様な視線は、想い人への想いを強く滲ませる、真摯に向き合ってきた物語性をも感じて。

 

満たされなくなってしまった日々の

貴女の酸いも甘いも忘れたままで


真っ直ぐに見つめる事で、己の心と向き合うような、"満たされなくなってしまった日々"を自分と重ねるような表情が視えて。

カメラを見つめる事は、想い人への熱い視線を彷彿させて。唯一、真っ直ぐな視線を向け続ける姿勢は"盲目の恋"を彷彿させる焦がれ方がある。

 

強くなれたならば

優しくなれるかな

見えすいた嘘で

茶化してばかりで


想い人が壁の先に"いる"という背景描写があると過程すると、壁に直接持たれることで、身を焦がす想いが揺るぎなく、離れたくないという盲目さが強く滲んでいて。

 

終わりがあるのなら

始まらなきゃ良かったなんて

いじけてばかりで


"終わりがあるのなら"と仮定の言葉で感情を曝け出すように真っ直ぐ射抜く視線。"始まらなきゃ良かったなんて いじけてばかりで"と後悔の念を加速させるフレーズでは遠くを見据える姿勢。恋の盲目さを彷彿させる射抜く視線を幾度となく刻んできた最後、断定する後悔では射抜く視線がないこと。

その弱さが滲むところ、物語の主旋律としてある"気怠く、陰鬱とした一人の男"を彷彿させる。

 

 

 

森本慎太郎 ver.

 

 

わかりきっていた

変わりきってしまった


移動に軽やかさを滲ませたり、感情を解放するメタファーの場としてのネオンピンクに染まった世界観でダンスを彷彿させる軽やかな動きだったり。

マスカラが持つ妖艶美な旋律の中に重低音が深く、感情の微睡の様に潜んでいる事を具現化する様な。

軽やかな動きと、"葛藤"という名の焦がれた想いの果てを描く物語性の緩急が美しくて。軽やかさがあるからこそ、縋る葛藤の重さが際立つような。


落ちたビンにさえ縋る仕草。

手持ち無沙汰を、お酒を回す事で気を紛らわせているように感じる。

想い焦がれた表情で見つめる事でお酒を飲む事を躊躇してしまうほど、想い人との思い出が全てに染み付いていると受け手に感じさせて。

 

当たり前の仕合わせを

喰らえど喰らえど

 

悲しみの雨を

丸々飲み干したら

出かけようか

出会った二人のまま

 

ありきたりな毎日に

足りて足りて足りない僕ら

 

終わりがあるのなら

始まらなきゃ良かったなんて

いじけてばかりで


"仕合わせ"であった日常に潜んでいたランプに縋ってしまうほど思い詰めて、形見のようにブレスレットを握りしめること。

"ありきたりな毎日"だからこそ、日常の余白で想い人への想いを焦がしてしまう歯痒さ。

"終わりがあるのなら始まらなきゃ良かった"というマスカラの起点とも言える軸が、ブレスレットを想い人の形見のように幾度となく縋る仕草と繋がる物語性に満ちた表現力。

「台本を読むとき、自分の中での画を想像しながら読んでいく」慎ちゃんだからこそ、歌詞の"葛藤"に行き着くまでの背景描写を生きるような。

 

悲しみの雨を

丸々飲み干したら

 

お酒を敢えて窓際に移動させる事。

それはまるで、"見えすいた嘘で 茶化してばかり"な自分を塗り替えるように、お酒の力を借りるという凡庸さを滲ませる。

"悲しみの雨"と"お酒"という液状を重ね合わせる様にお酒を覗き込んで想い馳せる表情をする繊細な表現力の開花が視える。

 

 

 

田中樹 ver.

 


"満たされない想いへの葛藤"という心理描写が基盤にあるマスカラ。

樹ちゃんは心を痛める"切なさ"だとか"刹那"を滲ませる表現力に長けていると常々パフォーマンスで滲む、表情の歪ませ方から感じてはいるが、その結晶が詰まっていて。

 

終始一貫して、冷静さを装うように影を宿す表情。

その影からは"葛藤"故に冷静さを保つようにも感じて。

 

満たされなくなってしまった日々の

貴女の酸いも甘いも忘れたままで

 

繊細な感情が激しく揺れ動いて滲む表情、まるで燃え上がった気持ちを焼き付けて、思い出と共に傷を噛み締めていく想いの強さが、歪ませる表情に強く滲んでいて。

 

強くなれたならば

お互い許せるかな

 

冷静さを保つ儚さから、終幕に掛けて表情を歪ませて衝動が駆け抜ける表情の移ろい。

その緩急が田中樹の感性の美学のようだった。

 

 

 

 

SixTONESが描く、万華鏡のような表現力


恋愛特有の感情の起伏を全身で表現するジェシー

 

"葛藤"という世界観に焦点を置いて、想い人との物語を解放する大我くん

 

"葛藤"の心理描写を紐解いて、己との葛藤から想い人へ馳せる葛藤まで、何一つとして同じものはなああ感情の繊細さを描く北斗くん

 

"気怠く、陰鬱とした一人の男"という物語の人格に重きを置いて、魅せるような髙地くん

 

"葛藤"の心理描写に至るまでの、焦がした想いを強く滲ませて役を生きる慎ちゃん

 

"葛藤"の衝動を、刹那的に滲ませる樹ちゃん

 

 

6者6様の表現力の開花が確立されていて。

マスカラで描かれる心理描写に寄り添う表現力から、世界観を生きる表現力まで。"6つの原石"という個性を感じるが、繊細で豊かな表現力がそれぞれの方向性で確立されているからこそ、多面的な要素を補い合い、"劇場風MV マスカラ"という表現力の結晶を際限のない輝きに導く要因だと感じる。

 

SixTONESの6人で一人の男を演じた「凡庸なラブストーリー」"

 

万華鏡は、多角的に視ることで多彩な視え方が美しい要因だと感じるが、SixTONESの表現力こそ、そんな万華鏡のようなものだと思っていて。

6人で一人という、一見同じ表現描写でないと繋がらないのではないかと感じざるを得ない構成を、6人で多面的な表現力を魅せる"からこそ"奥行きが深い作品になったのではないだろうか。

 

まるで映画で見るようなワンシーンの連続、

この胸の高鳴りが忘れられない。

多くの人々が、この際限のない輝きに満ちたSixTONESの表現力に熱狂する日が来ますように。

絶対に来ると確信した作品だった。

 

 

末長く愛され続ける作品でありますように。

願いを込めて。