魂の共鳴が生んだ「マスカラ」
"終わりがあるのなら 始まらなきゃ良かったなんて" 満たされない想いへの葛藤が込められた切ないラブソング
マスカラの楽曲概要として提示された一文。
"概要"だからこそ世界観を端的に濃縮した言葉だと理解していても、蓋を開ければ"満たされない想いへの葛藤"が常田さんが描く歌詞の世界観だけでなく、歌詞に込められた熱量の色合いと比例する旋律、妖艶な旋律美の奥行きを描くSixTONESの歌声。何一つとして欠けてはならない、SixTONESの為の常田さんの表現、常田さんの描く世界観を絶対的な親和性へ導くSixTONESの表現力。
その双方の化学反応が紡ぎ重なった上で生まれたものだと確信した。
常田大希は鬼才である
1.楽曲構成について
まずは、常田大希というひとが如何に"鬼才"であるかを語りたい。
メロディアスなギターフレーズから始まるマスカラ。
個人的にギターは、歌声とは別に旋律が歌う重要な核だと思っていて。だからこそ、冒頭からキラーフレーズの様に特徴的なギターリフが奏でられ、ギターリフに重なる弾ける金属音、浮遊感漂うエフェクト。その三重構造を音の扉を開放する冒頭に提示することは、マスカラで描かれる"哀愁"の感情の波を提示しているのと同等の意味合いを持つと感じる。
ギターリフに続いて、冒頭から繰り広げられる重低音の深い重ね方、まるで鼓動の音を具現化するようで。
ただただ重低音の厚みを印象付けるのではなく、キラーフレーズと言っても過言ではないギターリフ、感情の雫が溶け落ちた様にジュワッと広がる音の彩りがシンセサイザーで重なってゆく流れ、金属音の様に弾ける音というエッセンスも加えられる事、その全てが畳み掛ける様に重なってゆくことで、重低音が妖艶さを増す構成。単調を感じさせない、絶妙に計算され尽くした音の構成があるからこそ、音色の厚みを感じる。
鼓動の音を彷彿させる重低音から視える心情の昂り、心の張り詰めた琴線が切れるような金属音、微睡に沈む様な込み上げた想いが広がるようなシンセサイザーの旋律。その三重構造だけでも物語性を感じるが、サビ前に感情の解放の合図のように、金属音が鳴らされた後、サビでは乱反射する感情を彷彿させる様な彩度を上げたギターリフが煌めくこと。
音だけでこんなにも物語を感じる、心の琴線に触れる情景描写があるだろうか。
そして、1番から2番に差し掛かる部分での旋律美。私はこの旋律を聴いた瞬間の、雷鳴を浴びたかのような衝撃が忘れられない。
今まで刻んできた音の粒が昇華してゆくような、透明感に溺れる旋律美。
タイムスリップを彷彿させる浮遊感に溶け堕ちゆく中で、華麗に踊るギターリフが展開されること。
1番と2番が別物でなく地続きに在ると提示する様に流れる展開。
あまりにも、あまりにも美しい…音に吸い込まれる心地よい感覚は数多存在するけれど、水面に溺れるような情景が瞬時に脳裏を過った。
続く2番から終幕へ駆け抜ける狭間で、畝るギターレフから疾走感を加速させること。
妖艶な微睡が充満する中で、緩急をつける音の描写が末恐ろしい。
終幕にはマスカラの核とも言える重低音が消え去り、感情の柔い部分へ突きつける様な微睡を感じる哀愁に満ちた音色で終わること。
マスカラinstrumental ver.でも確信した物語性。
常田さんが描く音は、無駄が削ぎ落とされた音の化学反応で色が描かれてゆくように感じた。
まさに最高密度の旋律美を描いた上で、SixTONESのための余白を残していると言っても過言ではない。
音の構成だけに止まらず、歌詞を紐解いてゆくと、歌詞で紡がれる物語の彩度と、音が紡ぐ情景の豊かさが重なると思い知らされる。
2.歌詞構成について
単調であれど規則正しく全編を通して深い重低音を刻む構成は"満たされない想いへの葛藤"というマスカラのテーマ通り、焦がす想いが幾度となく湧き上がっては煮え切らない想い、失恋という現状を噛み砕いては納得させるように"もしも"を思い描く自嘲、その混沌とした失恋特有の目紛しい想いの強さと一致させるようで。
幾度となく焦がす想いを噛み締めて現状を納得させる想い、表裏一体化するもしもという希望で塗り替える想い…恋は焦がすものであり、感情の旋律が波打つ複雑なものだと思うけど、その想いの振れ幅が丁寧に文学的に紡がれることに衝撃的で。
Aメロ、Bメロという一般的な楽曲構成では、同じ旋律を視点が異なった描写で描かれる印象が多いが、マスカラでは1番と2番で描かれる描写が、単なる対比でなく時間軸の移ろいを感じる。
わかりきっていた
変わりきってしまった
馴染みの景色を
喰らえど 喰らえど
「凡庸なラブストーリーが丁度いい」という言葉から始まる事で示唆される、失恋直後の後悔の念で込み上げる想いと、現状を言い聞かせる事で鎮火させる想いへの葛藤。
恋の終着点を見据えていた上で、歩む景色には必ず想い人の存在が在ったこと。「味がしなくなってしまった」と続く言葉からも滲む失恋直後の喪失感。馴染みの景色は想い人の存在があった事で煌めいていた事を彷彿させる。
わからなかった
変われやしなかった
当たり前の仕合わせを
喰らえど 喰らえど
「変われやしなかった」と紡がれる過去形。
ここで1番から2番に掛けて浮遊感が漂う、水面に溺れる心地に堕ちる旋律美と繋がる。
重低音で彷彿させる混沌とした想い人への葛藤、心の琴線に触れる音のエッセンスで彷彿させる感情の開放、その一貫した音色に一石を投じる様な1番から2番の音の変遷は、この時間軸を示すと言っても過言ではないはず。
そして、幸せを敢えて"仕合わせ"と紡ぐこと。
仕合わせの意味は下記の通りだ。
し‐あわせ【仕合せ】
1.めぐりあわせ。機会。天運。
2.なりゆき。始末。
3.(「幸せ」とも書く) 幸福。好運。さいわい。また、運が向くこと。
巡り合わせの連続で当たり前が成り立つと意味を滲ませている。これは1番と2番が別物でなく地続きに在ると提示する流れの最高密度のエッセンスであり、1番では「馴染みの景色」「凡庸なラブストーリーが丁度いい」という普遍を色濃く滲ませた描き方が伏線であったと受け手を物語の時間軸に一気に堕とし込む。
そして一貫して多用される「喰らえど」という言葉から滲む意図せずとも想い人との思い出が蘇ってしまう、噛み締めるでもなく、目の当たりにしてしまう事で、今でも未練を焦がしてしまう強い想いが在ること。
枕を濡らした涙が乾いたなら
出かけようか
マスカラ剥がれたまま
悲しみの雨を丸々飲み干したら
出かけようか
出会った二人のまま
1番では失恋直後だからこそ、等身大の姿で向き合う事で「凡庸なラブストーリー」を紡げるのではないかという衝動を感じる。
時間軸が進み、対比の構図である2番では時間軸が進んだ事で後戻りする事もできず、後悔の念を晴らす事で初めてスタートラインに立てる、そんな満たされない想いの渇望が色濃く滲む。
時間軸が進んで、時間が進んでも尚"仕合わせ"な煌めきを取り戻せない、涙の煌めきを滲ませる様な転調も滲むこと。
幾度となく後悔の念を滲ませては、希望を紡ぐところ。しかし、それは願望に過ぎない事が終幕で証明される。
終わりがあるのなら
始まらなきゃ良かったなんて
いじけてばかりで
物語に幕を下ろす言葉、後悔の念だ。
鼓動を彷彿させる重低音の刻み方、1番→2番で音像を宿して感情が溶け合う様な昇華したエフェクト掛かった音色構成。言葉と音が唯一無二の可能性を紡ぐ、音楽だからこそ描ける世界観を、常田大希はマスカラでも惜しみなく開花させたと感じる。
まさに常田大希は鬼才である。
常田大希が描く音楽が如何に末恐ろしいものか述べてきたが、この壮大な世界観を潰さず奥行きを宿したのは、紛れもなくSixTONESだと思う。
歌詞構成から楽曲構成全てが重なり合う心情描写の物語が確立されているが、SixTONESの歌声はまさに"魂を吹き込んだ"と考える。
SixTONESは魂の表現者である
SixTONESは全員が透明感に満ちた声音だからこそ、6人の歌声が重なった時、一筋の光を彷彿させ、"SixTONES"という6つの原石の結晶体で、ひとつの歌声を宿すように感じて。
SixTONESは歌声に注目されることが多いが、なによりも、6人で重なった時の透明感と奥行きを深める表現力に止まらず、各々の解釈を深めた表現力を音に宿すことが、各々のパートで強く滲むこと。
それこそがSixTONESの表現力が末恐ろしい要因のひとつだと考える。
透明感に満ちた歌声によって壮大さを深めるジェシー
楽曲の世界観に憑依して彩度の幅を広げつつ表情が視える歌声を紡ぐ大我くん
歌詞に込められた背景描写を滲ませる樹ちゃんの歌声
アイドルが持つ煌めきを宿す慎ちゃんの歌声
微睡に沈んでしまう様な誘う声色を紡ぐ北斗くん
明瞭度を変化させる様なアクセントになる髙地くんの歌声
"6つの原石"というSixTONESに名付けられた意味合い通り、6者6様の音楽に対する真摯な向き合い方が滲む歌声。
マスカラは物語性が強く、世界観が壮大だからこそ、SixTONESの表現力が今まで以上に開花したと痛感する。
そして、何よりも妖艶さが滲む楽曲だからこそ、また新たな表現の扉が幕開けしたなと思っていて。
例えば、きょもじゅりパートにおける対比。
味がしなくなってしまった日々の貴女の酸いも甘いも忘れたままで
低音であれど、想い人と過ごした"仕合わせ"な日々の喪失感を滲ませる事で、込み上げる想いの深さを示唆する大我くんの声色。
満たされなくなってしまった日々の貴女の酸いも甘いも忘れたままで
"満たされない"という枯渇した情景描写が鮮明に蘇る、湿度の高い焦がれる様な表情が視える樹ちゃんの声色。
同じ旋律を辿るにも関わらず、歌声に込めた想いが滲む事で、SixTONESそれぞれが音楽の世界観を俯瞰して視るだけでなく、任された言葉に込められた感情を各々の解釈で宿す表現力が滲んで。
それこそ、彼らが"魂を宿す"音楽に真摯に向き合う真骨頂だと改めて感じた。
楽曲構成と文学的な歌詞構成、その二重奏だけでも奥深い世界観を噛み締めるが、常田さんが紡いだ「俺的に超王道 どストレートど真ん中」という言葉から滲む王道だからこそ、解釈を深める余白があると感じて。
その余白に際限のない輝きを投じたのが、紛れもなくSixTONESだと開花した表現力から放たれている。
instrumental ver.からも分かるように、無駄を削ぎ落とした音の化学反応があって。
その削ぎ落とされた余白に、心の琴線に触れる世界観を宿したのはSixTONESだと、instrumental ver.とマスカラを聴き比べると差は歴然だ。
マスカラは、常田大希という鬼才が描いた物語と、SixTONESが際限のない輝きを放ち、唯一無二を昇華して更新し続ける表現力が共鳴し合えたからこそ、最高傑作として君臨した楽曲だと思う。
表現の化学反応の面白さ
親和性を生み出せる魂の共鳴
その全てが「マスカラ」に在る。
王道は軌跡が積み重なってゆく中で作り上げるものだと思う、だからこそ常田大希 × SixTONESが生み出した新しい音楽の可能性が、無限に広がってゆきます様に。
そう思わざるを得ないし、間違いなく一度聞けば、噛みしめれば噛み締めるほど、"音を楽しむ"最高密度の出逢いが生まれると確信している。
「マスカラ」は魂の共鳴によって化学反応が起きた、現代における最高傑作だと思う。C/Wでも魅せられる、SixTONESの描く底無しの音の旅路も含めて。
まずは「マスカラ」が愛され続けますように。
そう願い続けている。